撮影地 不明
  所属部隊  満州國 興安北省免渡河

  満州第2602部隊   飯塚部隊


  同体験をされた方(習志野旅団)にこの写真を検証して
  いただきましたら背景がはっきりとはしていないが写真的には
  価値があるものだそうです。左腕にしている腕章がどういう
  意味をなすものか詳細が掴めない事と腰につけている弾薬盒は
  おもに体の左側に付帯していることが多かったそうです。
   歩兵では両側と後ろ側にも備えている写真が文献から
  確認できます。左側の画像は着剣時の三八式歩兵銃と
  見受けられますが体型との比較にわかりやすいものと
  なっています。
   検証された方が中国に入った時にはもうすでに
  古参兵がいたそうで、もしかするとその中に喜代三、
  飯塚部隊が駐屯して
いたのかもしれません。
   唯一、足利に戦友が一人おられましたが、今となっては
  音信不通で当時の詳しい話を聞くことは不可能となって
  しまいました。
   終戦時に本籍があった都道府県の福祉保健局で
  軍歴証明書が取れるようなのでいずれ書類を揃えて
  申請してみようと思っています。


   
出征餞別帳    軍事郵便   支那事變行賞

   従軍   終戦の詔書  

    光野 喜代三
     光野 安兵衛  シヅ  三男
     明治40年 2月21日 ~ 昭和31年 6月1日   出直

  
    人間五十年、下天の内をくらぶれば夢、 幻の如くなり
    ひとたび生を享け、滅せぬもののあるべきか