左衛門町 
(現在の浅草橋1-25)
             撮影日不詳


 昭和12年以前に撮影されたもの

 であろうと思われます。喜代三
 独身時代、昨晩のお酒がやや
 残っている状態での一枚だそうです。
 夏には左衛門橋から船を仕立てて
 海水浴や潮干狩りを楽しむのが恒例
 だったようで、果たして大森か三番瀬
 辺りへでも乗り出したのでしょうか。

 この写真には写っておりませんが
 当時、
偵吉さんの兄さんにあたる
 代々木の
よう吉さんが左衛門町の
 仕事場で
手伝っていたという話です。
 大工仕事もこなせる職人肌の人で
 関東大震災の被害にあった時も
 壊れた家を建て直したそうです。
 その後、20年2月25日の空襲で
 全焼の憂き目にあう事となります。
 (米軍は中島飛行機を爆撃
 出来ない
ことを認識し目標を
 切り替え、爆弾を
焼夷弾に積み
 替えてB29により攻撃)





  左 光野 政男
 
 大正12年8月2日~
   昭和16年8月10日
 
 享年19歳


 昭和16年の1月におシヅさんが
 亡くなって政男、祐一、17年には
 洋子、美江、静枝さんと、次々と
 不幸が続きました。
 特に、二ケ月程前に妹を
 亡くしている静枝さんの時には、
 臨終まで本人と世の儚さの会話を
 交わし、見届けただけに、
 辛く耐えられなかったとのことです。

          ふで談  

 おそらく昭和12年~13年までの
 いずれかの年に撮影されたもので、
 武蔵小金井にある公園での一枚と
 思われる。

 因みに写真の背景に巷で流れていた

 流行歌は、あゝそれなのに



 杉並區高円寺三ノ三四〇
       冨士寫眞社 撮影